2014年4月30日水曜日

被災地の再建と復興



 防災関係者の間では、「復旧」と「復興」とは区別されている。復旧は現状回復だが、復興は、震災の体験を生かし、以前より質の高い状態にすることを意味する。つまり、そこには復興に関わる「意識」や「理念」、「価値観」などが含まれてくる。

大震災が起ると今まで通りでいいのだろうかとの疑問が生まれる。東日本大震災後、こんな発言があった。

「この大震災は日本の次の生き方を考えなさいと神が与えたチャンスと考えるべきだ。」    
                                       (安斎隆 セブン銀行会長  読売新聞2012年1月18日論点)

同じ事を繰り返さないための「次の生き方」が復興の鍵となる。


阪神淡路大震災からの教訓
現実は想定外の災害の中で、場当たり的な再建が進んでしまう事が多い。阪神淡路大震災の時は、住宅の建設に長時間かかり、しかも被災地から遠く離れた場所に供給されたこともあり、震災前の居住者が元に場所に戻れない状況が発生した。これは、商店街の経営にも影響が出て復興が遅れた。また、防災性のある建物を要求した結果、景観や文化が損なわれ, 人々を集める魅力を失ってしまったといったマイナス面も生まれてしまった。


東日本大震災からの教訓




東日本大震災においては、何人かの中学校校長から避難所開設・運営に関して,次のような課題が挙げられている。

1. 市や区の防災対策本部に出向いても避難所の受け入れ体制が学校に丸投げになってい
         るのが腑に落ちなかった。

2.避難所開設の際の行政の方との役割分担の整理と明確化が図られていなかった。

3.区によって,災害対応職員の動きが異なっていたのではないか。指定動員職員の動きと合わせて,町内会との連携を含め,反省を生かして,今後に備えていきたい。

4.震災対応,避難所対応等によって,学校の負担が余りにも大きすぎた。

また、仮設も買い物が不自由な不便な場所に作られ、ちょっとした日常品を買える店を併設して欲しいとの要望があった。

同じ事を繰り返してはいけない。この教訓を生かさなければならない。しかし、予測される南海トラフ、首都直下地震の地域において、このままでは、まったく上記の状況が繰り返されてしまうような気がする。教訓を生かすには、行政任せにしないで、避難所エリアの自治会による避難所運営委員会の立ち上げと避難所図上演習(HUG)が必須である。


福島原発被災地からの教訓

東海地震の震源域の真ただ中になる浜岡原発では、避難に最長30時間かかるという試算が出されている。福島原発事故では地震18時間後に爆発が起きたことを考えると、逃げ切れず被爆する人がどうしても出てしまう。それを分かっていながら再稼働するのだろうか。これが「次の生き方」だろうか?

 

さらに時事通信 428()によると「福島県は28日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故に伴う避難者62812世帯(約132500人)に行ったアンケート結果を発表した。自主避難を含む避難者全体を対象にした調査は初めてで、家族が複数箇所に分かれて避難している世帯の割合が489%に上ることが分かった。」つまり5割が家族離ればなれで暮らしており、ストレスで体調を崩す人も出て来ている。原発事故で、今までの住居を失い、さらに線量を心配して小さい子供を抱えた家族は故郷を離れる場合も多い。また最近の報道で、福島の仮設孤独死34名と報じられている。福島のことは風化しつつあるが、被災は現在進行中である。これを他の地域で絶対に繰り返してはならない。




それを次期首都圏災害にどう生かせるのか?
これは人ごとではない。首都地域は地域のつながりが希薄で、高齢者や災害時要援護者の孤立が心配される。同じ事を繰り返さないため、行政だけでなく、自治会、支援団、NPOなどが連携して対処してゆく体制作りが望まれる。首都東京においては、震災後の東京を見据えて、国が復旧、復興の基本計画を示す必要性があるだろう。経済再建だけではなく、コミュニティの再建を是非、盛り込んで欲しい。


防災団地という考え
















東京は関東大震災、東京大空襲と2度に渡って壊滅的ダメージを受けた。関東大震災においては、火災による死傷者がほとんどで、墨田区、両国付近は最悪の状況となった。しかし、墨田区では現在、「防災団地」と呼ばれるユニークな団地が立っている。昭和57年に建設されたこの「都営白鬚東団地」は、墨堤通り沿いに高さ約40m 18棟が堤防のように横に並び約1kmにも及ぶ 

 左上写真右側が住宅密集地で木造も多い。火災が発生すると住民はこの団地の川沿いの緑地に避難する。この団地が防火壁となる。各棟の隙間には 鉄のシャッター、地上には巨大な防火門がある。(右写真) さらには団地の最上階には10万人の被災者が 7日間暮らしていけるだけの水と食料、 毛布なども備蓄されているという。 屋上には黄色の目立つ給水タンクが装備されている。


さらに、関東大震災では広域避難所に逃げたものの、運び込んだ荷物に火がついて多数の死者が出た。この教訓から避難所スペースには北池と呼ばれる池があり、衣類や荷物についた火を消せるようになっている。この団地は、世界でも珍しい防災遺産との声もある。


















3:11後、被災地では多くの人が住居や「今までの暮らし」を失った。しかし、中には「本当に大切なものが分かりました。」との声も聞かれた。「絆」という言葉がよく聞かれた。その学んだ価値観を生かしてゆけないだろうか?何をもって復興と言うのか? インフラの回復だけなのか? 「次の生き方」を見据えた現状復帰以上のものが望まれる。

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一般社団法人 災害支援団体クラッシュジャパン
次期東京災害対策担当
日本防災士機構認定 防災士

栗原一芳
crashkazu@gmail.com

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