2014年1月27日月曜日

「阪神大震災から学ぶこと」



 今から19年前、1995年1月17日(火曜日)午前5時46分52秒、兵庫県南部地震(阪神大震災)が発生。震源地は淡路島北部。M7.3、最大震度7 (観測史上初の7)内陸の活断層直下型地震だったため、局部的に激震が走った。活断層は9キロに渡って地表に現れた。


その時、どうだったのか?
以下、体験者のコメント。

「飛行機が落ちたと思った。」
「爆弾が落ちたと思った。」
「空が光ったので宇宙船が落ちて来たと思った。」
          (天空に奇妙な光を目撃した人が何人もいたという)
「テポドンが着弾したと思った。」
「六甲山が噴火したと思った。」
「地面から巨大な杭を打ち込まれているような衝撃だった。」
「洗濯機の底のようだった。」
「同じ家の一階と二階が違う方向に捻れていた。」など


震災体験者で作家の小松左京氏によると、「大地の下から、巨大な水圧ハンマーをたたきつけるような、ものすごい上下動と、それにほとんど間を置かずに襲って来た、大地を激しくこねくりまわすような、東西、南北の水平動と、そして、たった10秒間のはげしい震動のピークが収まった時、関西、いや日本屈指の近代的都市ベルトの光景がまったく変わってしまたのだ。」と描写する。たった10秒でいつも見ている光景が「別世界」になった。ここで注意していただきたいのは、初動時の上下動だ。これに関して小松氏は多くの耐震対策は水平運動に対するもので、上下動を考慮していないとする。しかし、直下型ではまず突然激しい上下動がくる。死者の9割近くは地震が始まってから、わずか5秒の間に倒壊家屋の下敷きとなって亡くなった。阪神高速道路神戸線は635メートルに渡って倒壊した。都市ベルトは10秒の間に推定10兆円の資産が消え失せた。震源が遠い南海トラフ地震の場合に、東京は震度5強で横揺れが続く。しかし、東京湾北部地震は直下地震で、まず激しい縦揺れに見舞われると予測される。この事を念頭に東京でのインフラ補強、防火に向けての木密住宅地域の区画整理を早く進めて頂きたい。


住い環境はどうなるのか?
とにかくその瞬間は、何が起きたかわからないのだ。そして、真っ暗に。地震の瞬間は何もできないと考えておいた方がいい。その時に火を消したり、ブレーカーを切ったりという理性的な行動はできないようだ。その時住まいはどうなったのか?

   家具は倒れる。
   インテリアは飛ぶ
   ガラスは割れる
   照明は落ちる

さらに一瞬にして家が全壊したり、1階部分がぺしゃんこになったりした。たった10秒で自宅が無くなる。家が倒壊すると物が取り出せなくなる。家が残ってもライフラインが止まる。都会でライフラインが止まるとジャングル生活以下になってしまう。

   水道から水は出ない、ガスは止まる。
   電気はつかない。家電は動かない。
   電話は通じない。携帯も通話はできない。(データ通信は可能かも)
   下水管も破壊されるのでトイレも流せない。
   連絡手段が無くなり、情報が遮断される。

さらに周りの家や建物が倒壊すると町の風景が全く変わってしまう。火災が起っていたり、夜中だったりすると避難所に行くのに迷ってしまうことになる。


そこから学べる対策は何か?
これらの事がわかっているという事は対策ができるということでもある。

1.家の耐震化
家が倒壊すると、自らの命の危険だけでなく、救助活動、支援活動の妨げにもなり社会悪となる。特に1981年以前の建築基準法改正前の建物は要注意。

2.家具の固定
8割の犠牲者が圧死によることを見る時、家具が固定されていれば助かった人は多い。特に寝ている時が一番無防備なので、寝室に倒れてくるものを置かないようにする。

3.水、食料、緊急時ライト、ラジオなどを用意しておく。情報をキャッチできるようにしておく。フェイスブックなど携帯通話ができない場合の家族、知人との連絡手段を備えておく。

4.自助、共助。
阪神淡路の被災者は30万人以上、1万人の救助隊員だけでは間に合わなかった。自力脱出不可能者の7−8割は近隣の人に救助してもらったことを考えると普段からの近隣の人々との関係がいかに大事かがわかる。「隣の人と挨拶している。それが大きな防災でした。」というコメントがあった。ちなみに、「黄金の24時間」という言葉とおり、初日に救出された人の約7割は生存、2日目は約2割、3日目になると救出された人の約1割しか生存できなくなる。「バールがあればもっと多くの人を助けられた。」とのコメントもあった。バール、ノコギリ、ジャッキが救出時の3種の神器である。

5.情報に関しては、各自がトランジスタラジオを携帯し、小回りの効くコミュティFMを開局することが望ましい。阪神淡路ではNPOが発電機とプリンターを持ち込んで作ったミニコミ紙が大変喜ばれたようだ。

良きニュースは、日本人にボランティアの心が生まれたこと。阪神淡路は「ボランティア元年」と言われ、13ヶ月に延べ140万人のボランティアが動員された。この経験を生かし、2011年の東日本大震災ではさらに効果的に働きが為されていった。ボランティアセンターを立ち上げ現地のニーズとボランティの調整をするボランティアコーディネーターの必要性が強調された。


避難所体験から学べる事は
1.無秩序に入居させるのではなく、はじめにテープして通路を確保する。基本的に世帯別で区画する。高齢者や障害者をトイレ近くに入居させる。

2.トイレ地獄は目に見えているので、多めに緊急トイレを用意する。

3.みなストレスが高く、喧嘩が起きやすいので、余計なトラブルを避けるため禁酒とする。

4.不満がスタッフに向く。しかし職員も被災者であることを理解する。外部ボランティアが来るまでは自分たち入居者で役割分担して生活する。

5.満員で避難所に入れない人もいた。通常、非難対象住民の3割くらいのスペースしか確保できていない。全壊の人を優先にするなど、いずれにしても「前もって」避難所運営委員会を立ち上げて「前もって」話し合っておくと混乱をより少なくできる。

6.食事は給仕する人が先に食べる。炊き出しする人が食べられなくなったケースがあった。東北の場合、配給物資が人数分ないので配らないという行政的な処置があったが、「分かち合う」精神でなるべく小量でも行き渡るようにする。

7.女性、高齢者、障害者への配慮。

8.やはり、リーダーは必要。仕事の分担などリーダーがいないと統率できず混乱が起る。


震災関連死は圧倒的に高齢者が多い。震災を生き抜いても、その後の不便な避難所生活で持病が悪化するなどで死に至るケースが多い。栄養不足から肺炎が多発したという。肉体的負傷だけでなく、震災後には多くの人が心的外傷後ストレス症候群となる。避難所では高齢者や障害者は人格、人権を無視されるような状況に置かれることもある。誰を攻める訳でもなく、健常者でもサバイバル状況の中で、食べる、飲む、排泄する、寝るという生存の基本が制限される中では極度のストレス状態になる。そしてフラストレーションは奉仕しているスタッフに向けられる。スタッフ達も極限状態で奉仕している訳だ。その中で、自力で生活できない人々にはしわ寄せが来てしまう。避難所に指定される学校


や体育館は健常者向けで、障害者や高齢者には厳しい環境となってしまう。阪神淡路の被災地の避難所でもどこの避難所でも意外なほど障害者の数が少なかったという。周囲の冷ややかな目がつらく、どこかへ移動されたのだろう。さてそうすると情報から切り離され、給水や食事の配給がどこで、いつあるのか分からなくなり、貰い損ねてしまう。耳の不自由な人はアナウンスも聞こえない。普段からの繋がりもなければ存在すら忘れられてしまう。西東京のある自治体では高齢者対象のボランティア「見回り隊」を設置、普段から地域の高齢者との意思疎通を図るようにしている。


高齢者に過酷な仮設住宅環境
避難所から運よく仮設住宅に移ることができたとしても、身長140センチの老人にとって、入り口の高さ45センチ、まわりは砂利で車イスでは動けない。ユニット風呂入り口段差30センチ、浴槽の高さ51センチとなると台所の戸袋は床から185センチ。これでは殺人的な住環境。東北の仮設では、バリアフリーの要望から入り口までスロープが付けられた建物もある。利用できる土地の関係から、ショッピングには不便な場所に設置されることが多い。車の無い人は大変な不便を強いられる。救世軍の助けにより仮設住宅の敷地内に商店街が設置されたケースもあった。





子供の心のケア
また、子供の心のケアも大事な課題だ。子供達も心に深い傷を負う。その面で「心のケア」ができるボランティアの存在は大きい。ちなみにクラッシュジャパンでは子供の心のケアプログラム「オペレーションセーフ」を被災地で行っている。先のフィリピン台風でも、現地で訓練されたボランティアによりオペレーションセーフが行われている。



病院はどうなる?
その他、考慮しておくべきは、病院の状況である。以下、阪神淡路大震災の時の病院の状況である。

「朝の検温、朝食など忙しい時間帯が始まろうという、まさにその瞬間だった。各階の詰め所ではガス台で湯を沸かしていた。ドーンという轟音、コックをひねって火を消すのがやっと。あっという間に病室内の衣装・備品ケースが倒れ、ベッドがぶつかり合う。転がり落ちた患者が、うずくまり震えている。余震の危険がある、とにかく患者を廊下に出す事が先決だ。寝たきりの人はマットレスのまま廊下へ、歩ける人はソファへ移動、重症者は広い部屋へ、140名の患者を守る夜勤の看護婦たちは死にもの狂いだった。」

日本の病院は自転車操業で日頃から医者も少ないし、ベッドも足りない。そこに災害時は同時多発的に怪我人、病人が発生し、病院には次から次に負傷者が送られてくる。患者は被災しなかった病院に集中する。24時間救急が途切れず、すでに入院中の患者の治療を同時並行で、次々に運ばれてくる患者の治療優先順位(トリアージ)を決め、処置していかなければならない。

しかも、停電、機材が震災で破壊されたり、職員が被災していたりする。すでに入院している自分でうごけない病人もいる。震災時の病院パニックは目に見えている。入退院をめぐるトラブルも深刻だった。被害の大きい地域では、退院しても帰る家がない。新たな入院患者を受け入れるには、退院者の受け入れ先を確保しなければならず、その対応が大仕事となった。また、水がなければ使用済みの器械類の滅菌ができない。被災地の病院では反省を踏まえて「持ち出し用救急薬品」「人工呼吸器使用患者一覧」「高カロリー輸液中の患者の対応方法」など、非難時の行動マニュアルの作成に取り組んでいるという。災害時にこそ「日常の力量が問われる」ことを痛感したとも言う。是非、次に被災地となる東京でも、これらの貴重な声をシリアスに受け止め備えて欲しい。

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参考文献
「大震災95」小松左京  河出文庫
「神戸発 阪神大震災以降」 酒井道雄編 岩波新書
「地震イツモノート」 地震イツモプロジェクト編  ポプラ社
「都市住民のための防災読本」 渡辺実 新潮新書

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日本防災士機構公認 防災士
一般社団法人 災害支援団体クラッシュジャパン 
次期東京災害対策担当
栗原一芳
crashkazu@gmail.com

2014年1月3日金曜日

都心南部直下地震 予測アップデート





2013年12月に内閣府、中央防災会議、首都直下地震対策検討ワーキンググループにより、首都圏直下型地震の新想定が発表された。まず、従来被害想定のモデルケースの東京湾北部地震はひずみが少なくなったとして想定からはずされた。震源の想定は19カ所あるが、発生の可能性が高く、被害が最も大きくなる都心南部直下地震が被害想定モデルとして使われている。発生確立は30年で70%。

M7級は発生確立が相当高く、起きやすいことは判明しているので、最も対策をすべき地震として評価を示した。」(内閣府・首都圏直下地震モデル検討会座長 安倍勝征)



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● M7で首都圏での死者は最大で23000人。前回想定の2.5倍。
 (うち火災による死者が 7割の16000人)。東京、神奈川、埼玉、千葉の広い範囲    で震度6強。湾岸の一 部で震度7。
   東京湾内の津波高は1m以下。
   都心を囲む木造密集住宅地域で倒壊と大きな火災被害 (全壊、焼失が61万棟、うち火災
   41万2000棟、液状化が2万2000棟。
   経済被害は95兆3千億円 (耐震化が進んで以前の東京湾北部地震被害総額112兆円より少なくなっているが、それでも国家予算規模)
   政府機能は維持できる見通し。生産活動停滞の長期化により国際競争力低下に懸念。
   関東大震災型のM8級、海洋型地震も長期的対策の対象とする。これが起ると死者7万人、被害総額160兆円。神奈川、千葉に6−8mの津波。
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中央防災会議のリポートを基に、被害予測を見てみよう。南海トラフなど海洋型の地震では津波被害が甚大となるが、内陸直下型地震では建物の倒壊と火災が主なる被害となる。

1.木造密集住宅地帯(山手線と環状7号線の間および江東区、墨田区、江戸川区など)の倒壊

揺れによる全壊 175000棟
建物倒壊による死者 11000人
揺れる建物被害に伴う要援護者は7200人
阪神淡路大震災のケースからは初日の救出者の生存率は約7割、2日目は約2割、3日目になると1割と激減している。初日の隣人による救援活動が鍵となる。

2.木造密集住宅地帯、および湾岸の火災
火災の連続かつ同時多発での発生。断水による消火栓の機能不能、また交通渋滞などにより防火活動が著しく制限され、延焼が起る。さらに四方を火炎で取り囲まれたり、火災旋風が発生したりで「逃げ惑い」が生じ、多数の犠牲者が発生する。



火災による死者 16000人 (死者23000人のうちの7割が火災による)。

東京での同時発生出火想定は1200件で、東京都所有のポンプ車は677台。とても対処しきれない。出火防止対策として、建物の不燃化、区画整理、感震ブレーカーの100%配備の方策検討を進めたいとしている。湾岸には石油コンビナートが5000基、火力発電所が12基ある。コンビナートの被災による可燃性ガスや有毒ガス等の周辺の居住区域への拡散防止 に向け、施設の耐震化の確保に向けた対策に取組む必要がある。



ライフライン/交通 被害要約

   都内5割で断水、停電 復旧に1ヶ月程度。
   一般道は復旧に1ヶ月
   地下鉄は1週間。JRや私鉄では一ヶ月程度の運行停止。
   羽田空港は滑走路の一部が液状化で使用不可。
   帰宅困難者 800万人、避難者 720万人(2週間後)


東京湾には12基の火力発電所があり、これらがダメージを受けると最悪、供給能力5割が1週間続くこともある。送電線事故による停電は1割程度だが、供給源がやられると広域で停電は長期化することになる。震災発生後は燃料の需要が急増する。停電の長期化はシリアスで、例えばガソリンスタンドにガソリンはあっても停電により給油できなくなる可能性がある。水、食料は最低1週間分は用意することが望ましい。また、水洗トイレは使用できなくなるので緊急トイレの用意が必要だ。ガスは大きな揺れでは自動的にストップする。ガス管などにダメージが出ると復旧に1ヶ月ほどかかる。

電話、インターネットは?
1.固定電話は9割が規制され通じにくくなる。2日目から通話規制が緩和。1割未満の地域では通信ケーブル被害で復旧に1週間かかる見込み。
2.携帯電話も初日はほとんど繋がらず、規制緩和は2日目となる。それでも基地局の蓄電源切れなどで46%が使用可能。メールは使用可能だが、大幅は遅配が発生する可能性あり。基地局のダメージで1割は通信不可に。停電が長期化すると基地局の蓄電も尽き、携帯電話が利用できなくなる地域が拡大することも。
3.インターネットは1割程度の地域で利用不可に。停電が長期化するとサービス提供が難しくなる。

上記したように、湾岸の火力発電所の大部分が破壊され、停電が長期化すると、非常用発電設備の燃料が無くなり、通信手段にも大きな被害が出る可能性がある。

テレビ、ラジオはどうなる?
テレビによる情報発信は継続される体制となっている。NHKにおいては、東京の放送センターが機能を喪失した場合には、大阪局から衛 星放送の 2 波を使い全国の各局に放送を送信し、これを受けた全国の放送局において、 地上波の総合テレビと E テレに放送することとしている。また、ラジオはテレビの音声を放送することとしている。

首都高の耐震化は?
防災会議のリポートには、「首都高速道路、直轄国道及び緊急輸送ルートとして想定されている道路の橋梁は、 落橋や倒壊防止等の耐震化対策を概ね完了しており、甚大な被害の発生は限定的であると想定される。」とあるが、首都高に関しては6300億円をつぎ込んで、今後10年かけて大改修工事を行うことになっている。実際はまだまだこれからだろう。主要道路の再開は1−2日とされる。ただし、緊急車両(救援や支援物資の輸送)が優先される。沿道建物から道路への瓦礫の散乱、電柱の倒壊、道路施設の損傷、停電に伴う信号の滅灯、延焼火災の発生、放置車両の発生、鉄道の運行停止に伴う道路交通需要の増大等により、発災直後から、特に環状八号線の内側を中心として、深刻な道路交通麻痺が発生し、消火活動、救命・救助活動、ライフライン等の応急復旧、物資輸送等に著しい支障等が生じる可能性がある。ガソリン不足もしばらくは続くだろう。

地下鉄の耐震化は?
地下鉄はトンネル、高架橋、地上部建物の耐震補強工事が概ね完了しており、液状化対策も 実施されていることから、トンネルの崩壊等の大きな被災は限定的であると想定される.運転再開には1週間ほど。

主要駅、周辺での避難民受け入れ態勢は?
鉄道は840箇所に被害が生じ、JRや地上線は復旧に1ヶ月ほどかかる。帰宅困難者は800万と予測され、震災当日は主要駅周辺は人であふれかえる。JR東日本では首都圏の約200の駅で駅構内を一時滞在場所として提供する。ちなみに三菱地所は東京、丸の内に食料を備蓄したり、大手町で災害時の利用を想定した温泉施設を複合施設に併設するなど、避難者を受け入れる取り組みを進めている。

空港は大丈夫?
羽田空港は、4本の滑走路のうち、2本が液状化により、使用できなくなる可能性がある。管制塔やターミナルビルは、損傷は受けることがあっても、使用に大きな問題が生じる可能性は低いとされる。成田も羽田も安全点検のため一時閉鎖される。一日後には緊急物資などの受け入れのため運用を再開。

忘れてはならない惨事、エレベーター閉じ込め
オフィスビルでは長周期振動による大きな揺れもさることながら、停電や揺れでエレベーター約3万台が停止し、1万7400人が閉じ込められるという。管理会社からの助けもすぐには期待できない。大きなオフィスビルには緊急用のボックスをエレベーター内に設置したいものだ。



災害直後の大きな課題として1)災害時医療と2)避難所不足 3)物資不足の問題がある。

1.救急・救命活動と災害時医療
・深刻な道路交通麻痺により、救急車等は現場に到達することが困難となる。 地震動に伴う圧倒的な数の負傷者の発生に対して、道路交通の麻痺と相まって医師、看護師、医薬品等が不足し、十分な診療ができない可能性がある。被災地外からのDMAT等の応援派遣の体制は整うが、被災地内の通信手段の制限により受入れ側の調整に時間がかかる。緊急的なヘリポートの設定は、広場等への被災者の避難により、スペースが不足する。停電に伴う照明不足により現場対応の難航等が想定される。負傷者が12万3000人。しかし、対応できない入院患者が1万3000人に及ぶ。

2.避難所等の不足
延焼拡大する火災から避難する人々が、避難場所に移動する。また、家が倒壊しなくても、停電や断水等ライフラインが途絶した家の人々や、余震に対する不安がある人々が、避難所として指定している避難所に移動すると膨大な数となり、混乱が生じることが想定される。避難所には、近隣の住民のみならず、事業所の従業員、街中での買い物客、鉄道乗車者等の一部も移動する可能性がある。昼間人口の大きい都心では住民以外の人々が避難所に押し寄せることが十分考えられる。避難所に入れず、避難者受入体制の整っていない公園や空地等に多くの人々が滞留し、そのまま夜を迎えて野宿せざるを得ない状況も発生する。

3.物流機能の低下による物資不足
発災直後より、被災地域ではコンビニエンスストア、小売店舗等における在庫が数時間で売り切れる。被災地域に限らず全国で生活物資の買い付け行動が起こり、全国で生活物資の不足状 況が発生する。被災地域内の道路の被災と深刻な交通渋滞により、食品や生活物資の搬入の絶対量が滞り、深刻な物資不足が 継続する可能性がある。

さらに、東京では東北と比較して空き地が少ないため、瓦礫の置き場、仮設住宅の設置場所などに深刻な問題が出ることが予想される。


見落とせない危機、房総沖地震

なお、長期的対策としてはM8級の海溝型地震である元禄関東地震(1703年)、大正関東地震(1923年)延宝房総沖地震(1677年)がある。東京湾内の津波高は元禄関東地震で4m以下、大正型で2m以下とされる。ただし、海抜ゼロメートル地帯では堤防の液状化による沈下や水門が機能しない場合、浸水の恐れがある。また、小田原では、最短1分で1mの津波初波が到達。館山市、三浦市で最大10mの津波が予想され被害も甚大となる。関東大震災タイプの地震は200−400年の周期で起っており、まだ周期的には100年以上あり、すぐには起きないが、その間にM7程度の首都直下地震が数回起る事が予測されている。



元禄型は対象関東地震より広範囲により大きな被害が出るが、周期が長く、30年以内に発生する確立はほぼゼロとされている。しかし、房総沖地震の震源は東北地方太平洋沖地震の震源断層の南部に位置しており、3:11で誘発される可能性がある。発生確立は7%。房総半島の太平洋側で6−8m, 最大17mの津波を想定し、対策を求めている。



被害予測は最悪のケースだが、今後、電気関係の出火対策を徹底すれば死者は6割、被害額は7割に減らせるという希望も見えている。

今回の中央防災会議からのリポートは次のことばで締めくくられている。

「被害想定では建物被害や人的被害など様々な被害について試算しているが、対策を講ずれば被害を1/10まで減少させることができるケースも示されている。このように、いずれ の被害も、しっかりと備えれば多くを防ぐことができ、仮に発災したとしても、落ち着いて 行動することにより混乱を避けることはできる。地震に対しては、正しく恐れ、しっかりと 備えることが重要である。」

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一般社団法人 災害支援団体クラッシュジャパン
次期東京災害対策
日本防災士機構公認 防災士
栗原一芳
crashkazu@gmail.com